なりたかった自分との違いに落ち込む時は
「舐められやすい人が楽になる」研究員、tomoです。
学生の頃、目指してたものとか、
社会人になって勉強したものとかで、
今、全く違う生活になっていると、
あぁ・・。あの時こう思ってたのにな。
と、過去のイメージと今の差を感じるときが
あるかもしれません。
そんな、戻らない時間に打ちひしがれる時、
tomoが考えたことです。
昔を思い出すタイミングは
どんなに想定してた自分と今が違うとはいえ、
過去を思い出さなければ、
その違いに気づくことはありません。
でも、ふとした時に過去を思い出す、
出さざるを得ないことがあります。
例えば
・断捨離で過去の物を目にする
いつか使おうと思ってた画材、勉強した資料、
その時目指したジャンルがいくつか目につきます。
私の場合は画材が量を占めていた。
が、ここで今からそれを使うことを想像してみると。
それは日本画の画材だった。今後日本画を描くのだろうか。
膠と岩絵具。10年以上前に作った下地を塗ったパネル。
膠を作る鍋。岩絵具をかき混ぜる小皿がたくさん。
ちょっとずつ減らして、過去の作品は捨てた。
いつか描こう、と置いてしまってるが。
学生の頃を思い出し、工程を振り返る。
木材を切ってパネルを作る。切断、ボンド接着に1日。
↓
膠を溶かす。鍋で弱火で溶かし、沸騰は厳禁。
学生の頃よく火にかけたまま放置して、
「沸騰してる!」と同級生に注意されていた。
↓
胡粉という下地も必要。その材料を使えるようにする為に、
粉から百叩きという工程をする。
↓
ドーサというものを和紙に塗って、乾かす。
↓
和紙をパネルに張る。乾かす。
↓
胡粉を塗って、その都度乾かす。
覚えてるだけでこんな感じ。
実際にやると忘れてる分、さらに時間がかかる。
このデジタルの時代に、こんな時間をかけてまで絵を・・。
絵自体を描くまでに一週間以上かかるだろう。
出来合いのものをある程度調達しても3日以上はかかる。
だめだ。
元々そこまで日本画が描きたい!とやっていた訳じゃない。
別の手段もある。
いいや。捨てよう。
捨てようかどうしようかと、本を開いたりしてる行為は、
過去の自分を思い出す行為だ。
捨てなくて置いとくということは、
過去の自分を思い出したいかどうか、ということに繋がる。
今後の生活を想定して、それを見る機会を想像して、
必要ないな、と思うものが多かった。
いいや。捨てよう。捨てちまおう。
理想はキャリーケース一つでまとめられるものだ。
そうはいかないのを片付けながらひしひしと感じ、
せめて要らないものは捨てていこうと、
断捨離を試みている。
・過去やってたことを目にする
その日に見たバラエティがデッサンのヌードモデルがテーマだった。
私の頃と同じ、20分やっての休憩を繰り返してた。
また過去に引き戻された。
・就職活動
例えば転職活動が長引くと、
経歴の説明をする機会が多くなる。
→必然的に異業種になった説明という、
過去と違う「言い訳探し」に苦労する。
別に本来は違ってていいんだけれど、
現時点の日本はまだ、「同じ業種で終身雇用」
がスタンダードで、
そこから転職したとしても、
似たようなものや流れが自然なもの、
そしてその回数が少ないものを良しとする。
あの頃やってたことと、今の違い
画材の断捨離から、
こうも思った。
私は今、日本画は描いてないが、石鹸は4キロ創ってるじゃないか。
と。
なんでもいいのだ。
実用的で健康的でお財布に優しい生活のための創作を、
ここ数年続けている。
自分がしたい創作活動は、絵とは限ってなかった。
結局自分を縛ってるものは、自分自身だったりする。
絵を描こうが描かまいが、どっちだっていいんだ。
それよりこの連休で石鹸を4キロ創ったことのが、私の現実だ。
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