うつ・内向型HSPの生き方

なめられやすい・真面目すぎる・内向型・うつ・生きづらさを楽にするための研究。

マイノリティがしんどい理由を集団心理から考える

 おはようございます!

「舐められやすい人の研究所」研究員、tomoです。 

 

舐められやすい人は、おそらく大半が

周りが自分のことを理解してくれないのがしんどい、

この組織では自分はマイノリティ(少数派)だな、

と感じることが多いと思います。

 

ここで、集団で少数派がなぜしんどく感じるか、

とみていきたいと思います。

 

 

マイノリティがしんどい理由

 

マイノリティがしんどい理由を集団心理から考える

日常にはこういった例もあるでしょう。

学生時代の友人で独身が自分だけ、

職場の部署異動で同年代がいない、

よく会うグループで英語喋れない人が自分だけ、

自分と同じような家庭環境な人が周りにいない、

など。

 

または、

「この瞬間にイラっときてるの、私だけ?」

「これが大好きなんだけど、誰も理解してくれない」

といった考え方、感じ方に関してなど。

 

「他人と比べる」ということをしなければ、

それはなんということもないのですが、

 

強制的にその集団にいないといけない、となると、

どうしてもそのマイノリティが故の辛さってのが出てきます。

 

最たるのが

「なんか気を遣う」ってやつですね。

 

例えば、自分が離婚協議中だったとして、

「世の中結婚すれば幸せだ」と信じて疑わないオーラで後輩に

「結婚してるんですよね?」と目をキラキラさせて言われた時。

もしくはその時

「一応結婚してる」と言ったら、

何故か「既婚」というだけで、結婚願望のある先輩から「嫉妬」をかって、

度々無視される。

とか。

 

これは実際にそのマイノリティになった人でないと中々分からないので、

単に「少数派である」ということだけでなく、

周りの人にその「気を遣うしんどさ」に対する理解が得られない、

というストレスがのしかかります。

 

勿論、そのマイノリティに対して周りの受け入れ体制が万全なら、

ストレスもないのですが、そうでもない時はしんどいです。

ここで集団の特徴をみてみましょう。

 

 

・集団の種類

集団とは、2人以上からなる集まりですが、

自然発生的な友人や恋人から、公的な職場など、目的や形式は様々です。

付き合いの浅い友人などは、嫌だと思えばいつでも解消することが比較的容易ですが、

家族や職場といった法律が関わるようなものは、疎外されたからといっても

関係を解消することは容易ではなく、またそれぞれが関係しあって複雑に絡んでいたりします。

 

・集団の特徴

集団では、集団を意識させることで、団結力といった凝集性が芽生えます。

この凝集性が高すぎると、他の集団に対して排他的になり、

集団に対して同一化しやすくなります。

同じ集団の中でも、集団の中でのルール(集団規範)に反したメンバーを異常とみなして、

制裁を加えるような言動をする傾向があります。

 

ということは、集団が過剰に結束していると、

感情的になりやすく、自分の感情を「集団の目的」という建前で、

規範に外れた人に対して攻撃をする傾向に繋がりやすくなります。

 

転校生や見た目や態度が少数派だと、目立つために、いじめに遭いやすいといった現象は、こういった心理が作用しているといえるでしょう。

社会に出たことのない生徒で構成される学校では、

主に家庭と学校以外の環境を知らないために、その環境が自分の全てと思ってしまうことで、

凝集性が高まるといえます。

 

また、「少人数だけ少し自分たちと違う」というだけで、

それを「排除しよう」という意識には、

 

単に

「理解できないから」→「なんか喋りにくい」→「がっつり仲良くしないでおこう」という、

穏やかな無意識の反応もあれば、

 

意図的に

「自分だけは1人になりたくない」→「あいつなんか変だってことにして、仲間はずれにしよう」→行動に移す。

といったような、意図的な「虐め」の構図や、「差別」にも発展します。

 

・マイノリティ=ネガティブイメージ

70年代にハミルトン・ギルフォードの行った実験では、

望ましくない行動は少数派集団が行ったと判断されやすい、という結果が出ました。

少数派というだけで悪いことをしそう、という間違った判断がされることがあるということです。

DV被害者などが、「被害者も悪いんじゃないか」といった偏見があるのは、

自分や周囲に同じ経験をしてる人がいないことから、少数派への偏見といえるでしょう。

 

・集団による影響で、自信をもてなくなる。

短所は突き詰めると一転して長所になったりします。

 

マイノリティであるということは、単なる統計です。

しかも自己申告しないと周囲に分からない内容の場合は、

潜在的に多いけど表面的に見えないだけということも多いです。

 

人が経験していない経験をしてる、大多数がもってないものをもってる、

またはもっていない、

ということは、「希少価値」といえるでしょう。

 

しかし、前述してきたような集団によるネガティブイメージに晒されると、

自分がおかしいのではないか、

間違ってるのではないか、

恥ずかしい、

というようにそのイメージが内向きに進行しやすくなります。

 

そうすると、自分に自信がもてなくなるのは自然の流れでしょう。

自信がなくなると、人前で堂々とすることもできなくなります。

自分を守る為に、

面と向かって自分がマイノリティであることは言わないようになります。

そうすると、密かに同じ人がいても、お互いそれに気づかない、という

デメリットが生じます。

 

集団で孤立してると感じ、自信がもてないことで、

さらに精神的に孤立していき、孤立=間違いという錯覚から、

また自信がもてなくなるという、悪循環になりかねません。

 

・レッテルという呪縛

60年代アメリカで「ラベリング理論」が唱えられました。

犯罪を取り締まる行為(レッテルを貼る)が、逆にその犯罪行為を助長しているといった定義です。

 

「犯罪者」=「排除すべき者」という認識が、

更生や社会復帰を妨げることになっていってしまうのは想像できます。

犯罪は法の下で裁かれるルールは必要ですが、

それをどう捉えるかで、人々の認識や動きは変わってきます。

 

例えば精神障害者は犯罪を犯しやすいというイメージを持つ人は

未だに多くいるのではないでしょうか。

でも実際の統計を見ると、

犯罪者の比率は健常者の方が圧倒的に多かったりします。

 

イメージが一人歩きし、

少数派に対してネガティブなラベリングがなされやすい、

というのは、あらゆるところで起きてる現象でしょう。

 

・インターネットはマイノリティにとって救世主?

 ネットなどの科学技術の進歩で、

集団の意味も変化を迎えました。

いわゆる、地域に根ざした人間関係だけではなく、

空間を超えた人間関係を可能にしました。

 

ネットならではの匿名性もあり、

マイノリティにとって孤立からネット内での集団という

可能性も増えてきます。

 

しかしながら、

匿名性であるが故に、なりすましのマイノリティが潜んでる可能性や、

職場や家族に隠したいことが、何らかのツールでバレるという

リスクも潜んでいます。

 

それでも、

使い方によって、

以前までの繋がり方よりも、

あらゆるタイプのマイノリティが、自己主張をしやすい環境が

実現してるといえるでしょう。

 

 

 

 

 

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